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追記

前記事では、ある種の飛ばし記事に対して、怒りにも似た感情で書き殴ってしまったので

事実とは異なる指摘をしてしまったことをここに謝罪します

ただし、それでも今回の方針に対して反対であることに変わりはありません

 

今回、ずっと違和感を感じていたその正体は

「音楽教室」と十把一絡げに表現されているからであり、

さらに言えばそのターゲットであろう「ヤマハ」と「カワイ」も、

それぞれにやはり、かなり大きな単位でひとまとめにされている、というもの

 

また、とりわけ日本で「クラシック」と言われるジャンルにおいて

その音楽は世の中で相当必要にされているのであるが

その専門性の高さを忌避するように

学校の音楽の授業では専門的なことは教えず、表面をなぞるだけにとどまっているという現実があり

街の音楽教室は、そこを補う存在であるということを避けて通ることはできない

(音楽以外の)他のジャンルがどうかは知らないが

こと音楽においては、「音楽教室」は他に替えのきかない「学校」的存在なのである

 

この部分に細やかな配慮を示す必要があると思う

例えば現代のJ-POPなどを専門に教えているところからは徴収しても良いだろうが

(というより、今回の件はこの事態を重く見てのことなのだろうが)

他のところにはしっかりと話し合って決めるなど

「音楽教室」というものを細分化する必要性についてしっかり考えるべきであろう

 

結論として再度書くが、「音楽教室」「ヤマハ」「カワイ」と一括りにするのはやめていただきたい

音楽教室はコンビニではない

「同じ系列だからどこも同じことをやっている」のではないのだ

ただ、一軒一軒確かめることが困難なのであれば、せめて各教室ごとにジャンルを区分けする、くらいのことはやるべきだ

これは現場の人間にはできない

制度設計の時点でやれなければ、自らの首を自ら絞めることになるということを

ここに提言する

 

 

あと、最後に一つだけ

著作権を管理してるのはJASRACだけではない訳だが

じゃあ、これからそういう団体が40くらい乱立して

どの団体も2.5%徴収したら、100%を著作権の利用料に払えってこと?それともレッスン料倍にしろってこと?

そうじゃないなら、そういう団体は自分達しか居ないって高をくくってるのか?

色々考えていると、嫌悪感はこういうところから来ることに気づいた

JASRACによる音楽教室からの著作権料徴収に対して思うこと

追記:この記事に関する追記を次のエントリーに書きました、この記事には今の時点では誤っていると思う部分が多々ありますが、そもそも気持ちを綴った物であるので、ここで削除や訂正はいたしません。

 

私はJASRACによる音楽教室からの著作権料徴収に対して明確に反対します

 

理由は以下の4つ

1.音楽教室の生徒を公衆と位置づけるのはおかしい

2.JASRAC管轄外の曲しか演奏しない場合は不当請求となるのではないか

3.楽譜による徴収との二重取りになるのではないか

4.教育機関から徴収するのはそもそもおかしい。今回の理論ならば、私立の学校・音大・音楽を少しでも取り扱う専門学校などから同様に徴収しないとおかしい

 

1.生徒は公衆ではない

ここを今回は強引な解釈で踏み出したのだと思うが、当然の感覚として「不特定の公衆」と「生徒」を同じにする人は居ない。これは音楽教室に勤める先生・講師と通う生徒に対する侮辱そのものであると同時に、とうてい納得できない解釈である

 

2.JASRAC管轄外の曲しか演奏しない場合は不当請求である

そもそも音楽教室に通うのはカラオケに行くのとは違い、一定の期間、もしくは数年に渡って、ずっと、同じ曲を練習することも珍しくはない

「数年間、バッハとベートーベンしか演奏してないし聞いてもいない」ということもあり得るような世界において、なにかしら演奏するであろうから包括契約で良い、なんていうのは暴論である

まったく権利に触ってもいないのに徴収されるというのは、不当請求という犯罪なのではないだろうか。その可能性すら考えない包括契約を持ち出すあたり、職務怠慢かつ地位を笠に着た横暴であり、到底許されることではない

 

3.楽譜との二重徴収

楽譜を買う目的はずばり演奏することであり、よりよく演奏するためには練習は不可欠である

また、練習は一人でするより、師に習う方が上達のスピードは上がるし方向性も確かなものになる

こんなことは明記するほどのことでもないのだが、どうにも今回の件はこのことをまったく理解していないように思える

「楽譜を買ったのだから、どこでどのように演奏しようが勝手だ」とまではもちろん言わない。というより、現状はお金を取る演奏会などでは使用料は支払われているのだ。「楽譜を買った」=「どこでも好きなように演奏できる権利を買った」とは一般的な音楽家は思っていない

ただし「楽譜を買った」=「師に教えてもらう権利はまだない」なんて思ってる人は居ないだろう

「楽譜を買う」=「練習する」≒「師に教えてもらうこともある」というのが常識であり、当然の権利であり、そして今回の件はこの構図に対する挑戦である

そもそもJASRACが権利を持っている曲の楽譜の出版には相当な請求が来ると聞く。昔、知り合いの音大の教授が楽譜集を出版するにあたり、現代の曲を入れようと思ったが、値段が跳ね上がってしまうので泣く泣く曲数を減らした、と聞いた

明確な値段のほどはわからないが、楽譜に「JASRAC」の文字がある以上、売り上げの一定額はJASRACに入っている

楽譜を販売して、それを練習として聞かせることはまた別料金です、なんて理論に誰が納得できようか

 

4.他の教育機関への徴収

同じ意味合いでは、授業料を取り「音楽」の授業がある私立の学校、音楽大学芸術大学、音楽を少しでも取り扱う専門学校なども同じ立場にあるはずで、そことの格差を付けることは不平等である

今回「音楽教室」という、一番立場が弱いところへの狙い撃ちに悪意を感じる

また、意味合いは変わるが構図は同じという意味で、ゲストとして雇った音楽家と一緒に練習すること自体が演奏権の侵害となるとも言っていると取れる

これらの機関から徴収しろと言っているのではない

こんな馬鹿げた理論で取ることがおかしい、と言っているのだ

 

以上が今回の件に対する反対の理由である

個人的には、使用する楽曲によって申告制とし、その作曲者のもとに支払われるという取り決めのもとに1%くらいの徴収をするというのなら、作曲者への理解や激励の意味ともなり、ある意味で権利に対する意識としての勉強にもなるかと思うが、包括契約で何を演奏したかにも拘わらず誰に支払われるともわからない徴収は無思慮甚だしく、ただ単にみかじめ料という意味としかとらえられない、もはや暴挙としか言えない代物である

ただ、それでも方針を固めたのならどんな無茶な理論でも実行するであろうが、最低でも何かしらの方法で文化庁最高裁の判断をするところまでは行ってほしいと切望する

「生徒は公衆である」と第三者が判断したのであれば、それは従うしかないと考えるが

JASRACだけが主張を通す形になり誰も反対の声をあげないということは避けてほしいというのが私の願望である

クールジャパンを標榜する政治家の方々には、今回のこの日本の音楽文化の根底を揺るがしかねない暴挙に対して是非とも声を上げ、行動をしてもらいたい

「音楽をしようとしている子供」を「教室に通わせようとしている親御さん」が辛い目に合い、日本の音楽のレベルが上がる可能性を摘むというこの状況を静観しないでください

2017年1月26日に思うこと

最近話題になっている絵本の無料公開とそれに付随する言動について

どうしても何か書き記しておかないといけないと思った

まず最初に、この場では当事者であるNさんのことを褒めることはいたしません

理由は、その褒めた部分のみをピックアップされ、そこで終結するであろうからです

また、今回の件は知名度を最大の武器としての行動であるので、匿名で書くことをこちらの武器とします

 

今回の件は絵本業界、そしてすべての業界への宣戦布告である

そして最大の問題は無料で公開したことではなく、大多数の人を「奴隷」と定義づけたことにある

 

「批判に対する批判」として一番よく見るのは「みんな感情的になりすぎている」というものだが

そもそも(負の)感情を呼び起こされる文言で書かれたものに対して感情的になるな

という方が間違った指摘である

「奴隷」という、考え得る限り最大の侮辱に対して、果たして全員が許すのだろうか

N氏の思惑は、様々な言動から見るに、こうだ

「これくらいやらんと怒らへんやろ?どうせ実際に被害も受けてへんのやし

そういう怒りの感情が人を動かす訳やから、これくらいやらんとあかんねん」

 

ようするに、N氏を嫌いになる人を増やしたいということ

でも今回のやり方は、あまりにも卑怯なものだ

 

なぜ絵本とは関係ない世界に生きている私がこれほどまでの嫌悪感を感じるのか

それは、同じことを自分や自分の家族・関係者にされる可能性を考えると寒気がするからだ

例えば料理屋をやってるとして、隣に億単位の豪華な料亭を建てられて

「お金の奴隷解放宣言」と銘打って無料で料理をふるまわれたら?

と考える。料理屋に限らない。世の全ての職種は、これの餌食となる

今回、絵本業界がされたのはこれだ

もちろん「絵本は中身が違うんだから関係ない」と思いたい人は思えばいい

ただ、N氏と絵本は少なくとも10年前には想像もつかなかったつながりであり

ならば10年先、N氏があなたの職種に興味を持って腕を身につけ

「お金の奴隷解放宣言」をかかげて、あなたと同等かそれ以上の腕を無料で開放されたら

どう思うか?いや、それ以前に、それをされて生活ができるのか?

私が思う嫌悪感の正体はここだと思う

 

※あくまで嫌悪感の話であり、実際にはそうはならないであろう

散々言われている通り、無料モデルの商売は目新しいことではない

ただ、無料モデルによって成り立たなくなった商売や

大手量販店、ショッピングモールに苦しめられ、閉店した小売店など

実際に職を追われた人たちが居るということに目をつぶってはいけないと思うが

 

もう一つの視点

YouTubeはすでに同じことをやっている」というのは氏のツイートから見た文言の要約だ

だが、そこで音楽を配布している人は、他のアーティストに対して

「お金の奴隷」と揶揄したり、バカにしたりしただろうか

「やっていることは同じだ」となるのだろうが

「同じことをやっても、どんな気持ちか、どんな気持ちを表明するかで受け取り方は全然違う」

なんてのは、テレビを始めとする表現の世界では当然知っているはずのこと

何か物を売る時に「ありがとう」と言われるか「ぼったくりやがって」と言われるか

後者で怒りや悲しみの感情がまったくわかないとしたら、それはそれで何かが欠落している

 

何が言いたいかをちょっとまとめると

「奴隷」呼ばわりされた人たちは、ちゃんと抗議を行動した方が良いという事と

「感情を揺さぶってくる悪行」に対して「感情」で返すことは当たり前の事、ということ

 

さらに、表現作品だから特にだが、

「(知名度、影響力が高い)N氏が無料開放することによって、

他の人の作品や仕事が買い叩かれる状況が起こりやすくなる」

というのはあり得る話だと思う。使う側としては、常に値切りのタイミングをうかがっているものだ

それを危惧するなどと言ったなら

「お前の儲けのことばかり考えるなんて卑しい」

「無料開放するのを叩くのは、それこそお金の奴隷だからだ」

「時代が進むのだから、それについていけないならもうダメ」

「今回批判しているのは、自分の儲けを守りたい人」

という意見が出てくる、というのをいろんなサイトなりで目にする

 

今回一番言いたいのはこれで

「自分の稼ぎ、儲けを確保し、それを守るために戦う」ことの何が悪いのか

今回の件は前半で書いたように、職種の危機だ

時代によって成り立たなくなる商売や職種もあるだろうが

今回の件は違うと思う

世の絵本作家全員が「無料公開してその知名度向上により売り上げをさらに伸ばし、かつ広告収入も得る」という方法を採れるとは到底思わない

この、「否定的な知名度を足し合わせた」知名度を利用したシステムを構築することを良しとしないならば

業界、その一人一人は何かしら行動を起こさざるを得ないだろう

そんな要らない労力を強要するN氏の行動が腹立たしいのである

 

 

「自分というエゴのかたまりをどうやって制御できるかを模索し、

出来るだけ人を傷つけないようにしようと努力をしている人々」を馬鹿にし

「人を傷つける事で世の中を動かすこと」を良しとするN氏のやり方に厳重に抗議します。